2011年3月11日の備忘録

2017年11月16日


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qimono / Pixabay

明日で東日本大震災から6年が経ちました。当時、私は霞が関にある税理士法人で働いていました。毎年この日になると、当時を思い出します。とは言うものの、年々記憶は薄れていくもの。これ以上、記憶が薄れていく前に思い出せる限り、自分の備忘録として残しておこうと思います。

2011年3月11日の私の行動

地震発生時

地震が発生した時、私は霞が関にある当時の勤務先の税理士法人の自席で仕事をしていました。かつて体験したことのない大きな揺れでした。オフィスは霞が関ビルの27階です。高さがある分だけ、揺れが大きく感じたのかもしれません。地震発生直後に窓から周辺のビルを見ると、目の前のビルが大きく揺れていました。おそらく、私のいたビルも、見えていたビルも、両方とも大きく揺れてはいたのでしょう。
あまりの地震の大きさに、エレベーターは当然のようにストップしました。ビルから出るには、27階の階段を降りていくしかありません。
私はもう当日中の復旧はないかもしれないと思い、鞄を持って階段を降りていきました。いつもはほとんど人が使うことがない階段が、その日に限って、大混雑していました。27階の階段、結構長いです。鞄を持って降りたのは正解でした。
地震発生直後は、携帯電話の回線がパンク状態。家族と連絡を取るのに、結構時間がかかりました。

歩いて帰宅する

律儀だった私は、鞄こそもって会社を出たものの、会社から帰宅してもよいという連絡が来るまでは待機しなければならないと思っていて、地震発生から数時間をビルの1階で同僚と話をしながら過ごしていました。
数時間後、会社から帰宅してよいとの連絡がありましたが、電車は復旧せず、車道も大渋滞でタクシーを拾えるような状況でもありませんでした。
そこで、私は歩いて家まで帰ることにしました。方角は大体わかってはいましたが、大通りは歩いて帰る人で大混雑していましたので、スマホで地図を見ながら裏道を歩いて家まで向かいました。
夕方になると、お腹が空いてきましたので、何か食べたいなと思い、コンビニに立ち寄ってみました。すると、コンビニの食材はほぼなくなっており、レジの前も長蛇の列。どのコンビニも私の見た範囲内では、同じような状況でした。

そこで、私がとった手段は、ラーメン屋で美味しいつけ麺を食べて帰ることでした。「腹が減っては歩いて帰れない」ということで、馴染みのある水道橋付近でつけ麺で有名なお店で腹ごしらえをしました。私の読み通り、大通りから外れた場所にある飲食店であれば、食べて帰ることは可能でした。

自宅までかかった時間は、約3時間半でした。職場からの帰りでしたので、足元は革靴です。足への負担は大きく、防災のためには、スニーカーを会社に置いておくのが必須であると学びました。

歩いて帰ったのは、結果的に正解でした。結局電車はその日の深夜まで復旧しませんでしたし、大通りは大渋滞でほぼ車が動かない状況となっており、徒歩にもかかわらずバスを何台も抜かしました。

父親が自宅に泊まる

当時、父親も東京で働いており、実家のある柏までの電車は終日運転復旧の見込みが立たないため、深夜にようやく動き始めた南北線で、父親は私の家まで来ました。母親単独で子供たちの家に来ることはあるのですが、父親が単独でうちに来たのはこれが初めてでした(そして、その後も父親1人でうちに来たことはありません)。

仕事への影響

地震の翌日は出勤日だった

6年前だったので、もうすでに忘れかけているのですが、確か震災の翌日は出社だった気がします。電車は復旧したものの、大幅に本数を減らしており、真面目な日本人はこんな日でも出勤する人が沢山いて大混雑でした。せっかく、頑張って出社したものの、クライアント先は臨時休業となっているところも多く、意外と出来る仕事が少なかった気がします。
その後、何日か臨時休業になりました。3月は2月の次に忙しい時期で、終電に間に合わずにタクシーで帰ることもよくあるのですが、不思議と数日休んだにもかかわらず、例年に比べると早く帰れていました。危機があると、自然と効率的に皆が働くようになり、予定よりも少ない項数で仕事ができるものです。

東京での確定申告の対応

3月と言えば、税理士業界では個人の確定申告のため、一年で最も忙しい時期です。確定申告まであと4日という状況で、地震は起きました。青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県の5県については、国税庁告示により、申告期限が延長されたようです。
私の勤めていた税理士法人は、個人の確定申告の取扱いは少なく、また、私の所属部署のクライアントは法人のみでしたので、あまり大きな影響はありませんでした。1社だけ、災害による申告期限の延長を希望された会社があり、対応した程度です。

東京の被害は軽いほうだった

4月、宇都宮にあるお客様のもとへ訪問しました。その頃になると、東京のお客様は平常を取り戻していましたが、宇都宮ではそうではありませんでした。地震の影響で事務所の建物の設備の一部が損壊し、執務できない状況になっていました。海沿いは甚大な被害をもたらしましたが、内陸の方でも北関東以北ではその被害は意外と大きかったことをその現場を見て知りました。

防災セットを用意しよう

あれから6年が経ちました。あの日のことがあったからこそ、防災意識が高まったと思います。

ところで、会社が防災用に買った非常食、どのように経理するかおわかりでしょうか。

「まだ食べていない、つまり、使っていないから経費にはできず、貯蔵品にするのでは?」と考える方もいるでしょう。

しかし、防災用に買っているわけですから、食べていなくても防災用として存在するということ自体、使用していると言えるのです。

ですから、防災のための非常食は、自信をもって経費として処理しましょう。

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【編集後記】

今日の午前中、お客様の被相続人の準確定申告のため、王子税務署へ訪れました。すると、税務署の外までの長い列が…。相談が終わるまで1,2時間はかかるでしょう。所得税の確定申告書の提出だけの窓口も数人並んでいました。
それを横目に、私は2回の総合窓口で準確定申告書を提出。順番待ちゼロでした。

【昨日の一日一新】

独立後初の書面での確定申告書セッティング(準確定申告だったので電子申告できない…)

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また、ブログの内容等に関する質問は、受け付けておりませんのでご了承ください。

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